努力の仕方とかけ算のお話

”ピカソはなんで天才か分かるか?多作だからだ。”
これは、秋元康氏の言葉である。
努力において、議論されることの1つに、
『質と量』の問題がある。
ただ量をやるだけなんてダメだ。
質を上げることが大事なんだ。
量だけの努力は努力とは呼ばない。
この言葉に同意する人は多いと思う。
僕はこの、『質』至上主義なるものに少し違和感を覚える。
何も間違ってないと思うし、質が大切なことは重々承知しているつもりだ。
ただ、僕の考えは、
質とは量の先にあるもの
である。
カリスマの努力量
世にいう成功者や影響力のある人物は、もれなく圧倒的な努力量をこなしている。
藤田晋(サイバーエージェント社長)
”21世紀を代表する会社をつくる”
藤田晋氏の著書『渋谷ではたらく社長の告白』で、この言葉は何度も出てくる。
ベンチャー企業が台頭している時代に、ネットバブル、そしてその後のバブル崩壊を経て、史上最年少での上場を果たし、その先の21世紀を代表する会社をつくることを目指す社長の孤軍奮闘を描いたノンフィクション作品だ。
”私は週に110時間労働を目標に掲げました。”
”週110時間ということは、9時に出社する、そして2時まで仕事をする。
それを平日5日間。あとは土日に12時間ずつ働くと110時間だ”
”仕事に夢中になっていて食事をしたこと自体を忘れていることもありました。
当時の私は、自分は頑張っているという感覚すらなく、それほど夢中になって
仕事にハマっていたのです”
今のご時世では考えられないような仕事量。
これを可能にしているのは、
高い目標を掲げ、努力を努力と思わないほど夢中になっていることだ。
でも、僕たち理学療法士もこういう感覚に近いものは持っている気がする。
たとえば、休日に講習会に参加するのが典型的な例だ。
講習会に参加していることに、『自分は努力してる』と感じるだろうか?
少なくとも僕はそう感じたことはない。
自分の知的好奇心が満たされ、
新しい発想や技術を得られることに対しては
頑張っているという感覚は生まれないのだ。
イチロー氏はこう言っている。
”努力と感じている状態はまずいでしょうね。
その先に行けば、きっと人には努力に見える。でも、本人にとってはそうじゃない…
という状態が作れれば、それは勝手に報われることがある。”
気づいたら自然と量をこなしている、
つまり、
時間感覚が奪われるほど夢中になり量をこなしたときに
初めて質が上がっているのである。
箕輪厚介(幻冬舎 編集者)
”量量量!圧倒的な量を制圧して初めて見える世界がある。”
箕輪厚介氏は、『多動力』(堀江貴文)、『お金2.0』(佐藤航陽)、『日本再興戦略』(落合陽一)、『人生の勝算』(前田裕二)など編集したNewsPicks Bookの編集長である。
そして、箕輪厚介氏の著書『死ぬこと以外かすり傷』の一節が上の言葉だ。
箕輪氏自身、最初は、
”質と量は反比例する。手に負えないほどの量を抱えれば質は下がるに決まっている。
少なくとも僕の場合、そう考えていた。”
しかし、あり得ない量の仕事を抱え込んで初めて分かったと。
”準備している余裕もなく、失敗したり恥をかいたりしながら圧倒的場数をひたすら
こなしているうちに、自然と要点が分かってきて、能力が上がっていく。
平均的な量をやっている人と段違いの差がつく。”
”どうにか乗り越えられる量ではなく、絶対に無理という負荷をかけることで、
苦境を乗り越えようと進化する。進化は危機からやってくるのだ。”
週1回×量2×質6の人と週7回×量2×質1の人だとトータル12対14でそれほど大差はない。
すると、質が1上がるだけで、
週1回×量2×質7と週7回×量2×質2となりトータル14対28で倍の差がつく。
量をこなす上での大前提
最後に1つ、努力をする上で注意しておきたいことがある。
それは、
目標への方向を間違えない
ことである。
マスターズ陸上で金メダルを獲得した武井壮氏が、
Twitterで『全く同じ練習して他の人より努力しても伸びない奴は伸びないですよ、
僕がそうです』とコメントされたことに対して、こうつぶやいている。
『量をこなす』と『ただ頑張る』を混同させない。
そして、僕にとっての鼓舞する人(さらば青春の光、惜しかったなぁ)
である友人はこう言っている。
”自分が本当にやりたいことをやってると必ず壁がくる。
壁にぶつからなかったら、それは方向が違うか、やっていることが足りないんだ。”
壁にぶつかることが成長してる証だと、楽しめるように。
正しい鍵を握りしめ、目標に向かって並ぶ無数の扉を一つ一つ開けていこう。
僕のバイブルである漫画グラップラー刃牙の中で、
圧倒的な量と質の鍛錬で究極の矛盾を作り出すジャック・ハンマーで
締めくくりたいと思います。
この記事へのコメントはありません。